ステレオタイプな書斎。


 さして狭くはないのだが、山稜のような本棚が窓から入る陽光を遮っているため、どうも薄暗い印象を受ける。
 部屋には、立ち並んだ本棚から発せられる古書特有の黴臭く、どこか懐かしい香りに満ちていた。


 その密室の中、シオン・エルトナム・アトラシアは、いつものように机に向かっていた。


 アトラスの筆頭ともなれば、もっと豪奢で最新鋭の部屋が与えられている。
 しかし、シオンは必要がない限りは、この使い慣れた部屋を使っていた。

 この部屋は、シオンがこのアトラスに来てからずっと使っている部屋だった。
 本来、新参者に個室が与えられることなどはありえない。しかし、忌避されていた血筋は、シオンに『隔離』という形でこの部屋を与えた。



 古い書庫。さして重要な書籍が置いてあるでもない、物置のような部屋。

 そこが、彼女の城だった。







『Surely...』







 目の疲れを覚え、シオンは椅子に座ったまま大きく伸びをした。
 疲労は、円滑な思考を阻害する。適度な休息は必要だ。
 時計を見れば、既に昼過ぎ。軽い空腹をなだめながら、机に雑然と広げられた研究資料をひとしきり眺める。

 たしかに、研究はお世辞にも順調とは言えない。
 しかし、遅々とはいえ前進しているのも確かだ。

 真祖『ワラキアの夜』の消滅により、『子』であったシオン自身の吸血衝動は既に失われている。
 体は依然吸血鬼のままだが、その影響は些細な――ちょっと日光が嫌いになった等――もので、とくに日常生活に障害はない。
 障害はないが、しかし、研究への熱意もまた、失われてはいない。
 吸血鬼への恨みが晴れることはないし、かつての自分と同じ苦しみを味わう人々の力になりたいとも思う。

 そして、なにより、彼との約束がある。


「……志貴」


 心が震えるのを自覚する。
 非論理的な衝動。しかし、今はそれが心地よい。

 あの短くも充実した日々は、確かに私に何かを残したようだ。

 思わず、クスリと笑みが零れた。



コンコン



 控えめなノックの音。
 スッと表情を戻し、シオンは来室を促した。
 扉がゆっくりと開き、長身の女性が現われる。

「失礼します、シオン・エルトナム・アトラシア」

 来客は、アトラスでの先輩に当たる女性だった。
 とは言っても、立場的には自分のほうが上なのだが。

「何用ですか?」

 ともすれば冷淡にも聞こえるシオンの声音に、女性は少し緊張した面持ちで用件を告げる。

「えぇ、この部屋に『メリクリウスの甦生』があると伺いましたので、少々お借りしようかと」

 シオンは、やっと急な来客に納得がいった。

 珍しいことではあるが、まったくないというわけではない。
 この部屋は、元々物置のようなもので、あまり重要視されなかった古い資料が埋もれている。時折、思い出したようにそれを必要とする人間が訪れる。

 今回もその類のようだ。

「どうぞ」

 そっけなく言って、シオンはまた机の上の本に目を戻した。

 女性は、微かに肩を竦めた。
 彼女が無愛想なのはいつものことだ。気にしても仕方ない。

 そして、さして気にもせず、本を探し始めた。





§






 重苦しい沈黙が部屋に澱のように溜まっていく。

 来室から、20分ほどたった頃だろうか。
 あまりの本の多さに辟易しながら発掘をしていた女性に、焦りが見え始めた。

 あまり長居すると、手厳しく追い出されることになるのは目に見えている。
 シオンの排他的で辛辣な性格は、アトラスの人間なら知らないものはいない。
 そもそもそんなに重要な資料というわけではないのだ。また後日、改めて探させてもらえばいい。
 そうだ、そうしよう――


「…………です」


「えっ?」

 風の流れにすら霞む様な、小さな声が聞こえたような気がした。
 女性が振り向くと、顔を上げたシオンの瞳がこちらを見据えている。

 その目はあまりにも静謐で、女性の額に思わず冷や汗が浮かぶ。

「あっ、その、あの……」

 突き刺さるであろう鋭い叱責を予期したのか、女性の舌がもつれた。

「……一番奥の棚の上から三段目、です」
「すっ、すいません! すぐに出て……って、え?」

 独り言のようなシオンの口調。
 謝ろうとしていた女性の言葉と表情が困惑に染まるのを見て、シオンは軽くため息を吐いた。

「お探しの本は、一番奥の棚の上から三段目にあったと記憶しています」
「……あっ、はい!」

 慌てて踵を返して、部屋の奥に向かう女性。
 その背を見やりながら、シオンはもう一度ため息を吐く。

 ガラじゃ……ないな

 似合わないことをした、と自覚する。
 いつもなら煩わしいとすら感じただろうに、今回はなぜか、困っている彼女の様子が気にかかった。

 誰かのおせっかい癖がうつったのかもしれない、と思った。



 ほどなくして、女性が戻ってくる。その手には所望の本が握られていた。
 シオンは、すでに何事もなかったかのように研究に戻っていた。

 会話もなく、お定まりの挨拶を残して女性は去るだろう。
 それが、いつもどうりの展開。それは多分、正常な光景だ。

 しかし

 ドアノブにかけた女性の手が止まる。まるで、戸惑うように身じろぎしている。
 感じた違和感に、シオンは顔を上げる。
 どこか居心地の悪そうだった女性は、シオンの顔を見据えると一つ息を吸ってゆっくりと言った。


「……ありがとうございます」


「えっ……」

 キョトンとしたシオンに、今度は優しげな笑みを向け、繰り返した。

「ありがとう、ございます」
「……いえ」

 そっけない言葉を返すシオン。
 女性は気にした風もなく、「それでは」と言い残して部屋を後にした。


パタン


 ドアの閉まる音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。





§






 変わらぬ静寂が、部屋を包んでいる。
 そこに一人残されたシオンは、自分の身のうちに生まれた違和感の原因が何なのかを考えていた。

 どうしてだろう?

 感謝の言葉。社交辞令の言葉。
 いつもと同じ言葉なはずのそれは、とても温かい感じがした。

 かけられた言葉はいつもと同じ。
 ならば聞き手である自分に、何らかの変化があったのだろうか?

「変わった……のかな?」

 シオンは一人ごちる。それは自分自身への問いかけ。

 基本的には変わってないと思う。
 しかし、小さくとも、確かな変化がある。

 そして、自分はそう答えた。  その答えに、シオンの口元に小さな笑みが浮かんだ。


 それは、彼らのおかげなのかな


 席を立ち、小さな窓の前に歩み寄り、カーテンを開ける。
 差し込む陽光に眩んだ視界。その奥に、果てしない蒼穹が見えた。
 この空は、何処までも――そう、あの極東の地へも、続いているのだ。


 どこか、あの幻夏に似た空に向けて、思う。


 いつの日か再びあの街を訪れてみたい。
 再開はないにしてもあそこにいきたいという心は無くならないのだから。
 あの街は私に初めての友人をくれた街だから。



「―――――」



 一陣の風が、シオンの髪を優しく揺らす。
 祈りの言葉は、風に運ばれてるように霞んでいった。







<あとがき>

どうも、蒼大将です。

一応、自サイト開設用の第一弾SSなのですが、何を間違ったのか月姫SS。
しかも、シオンSSとなってしまいました。愛か、愛なのか?

まぁ、シオンは自分でもお気に入りなので、書けて嬉しいやら巧く書けなくて悔しいやら、複雑な心境です。
内容については、『メルブラの後のシオンSSが見たい』という相棒の坤からのネタ提供から生まれました。
実は、自分の欲望が顕現しているらしい脳内シオン(笑)バージョンもあるのですが、果たして日の目を見ることが出来るのやら。

まぁ、駄文ではありますが楽しんでいただければ幸いです。
誤字脱字、または感想批判等ございましたら、自分のほうにメールをお願いします。

……次はなるべく早く書き上げたいなぁ(切実

6/1 蒼大将
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