ピンポーン


 古めかしい木造の家屋に、玄関のチャイムが響く。

 茶の間でお茶を飲みながら昼メロという、オバサンくさい寛ぎ方をしていた少女―――天野美汐は、やれやれとばかりに腰を上げた。 どっこいしょ、などと言わないのがせめてもの救いか。


ピポピポピポピポーン!


 これでもかとばかりに連打されるチャイム。
 それに重なるように パタパタという足音が、木造の廊下に響く。少々はしたないが急いでいるので仕方がない、と自分に言い聞かせながら、美汐は玄関の取っ手に手を掛けた。

「はいはい、どなたさまで――」
「あっ、みっしおー! あけてー!」

 途端、元気のありあまったような大声が扉の向こうから飛んでくる。
 その音量に眉を顰め、美汐は騒がしい来客に少し辟易した。

「……今、開けますから」

 ガラリと引き戸が開く。
 燦々と照りつける、どこか優しさを滲ませたような初夏の日差し。美汐は地面に照りかえる眩しさに少し目を細める。
 その陽光にふっと影が差し、輝きををうけて金色に煌く髪が見えた。続いて、ひょっこりと見知った顔がのぞく。

「やっほ〜!」

 その輝きによく似合った満面の笑みを浮かべ、少女――沢渡真琴がぶんぶんと手を振っていた。








Ring Ring Ring









 元気よく挨拶をした真琴は、美汐の表情に剣呑なものを感じ、すぐさまピタリと停止した。
 日ごろの躾の成果である。

「……チャイムは一度でいいと言ったでしょう?」
「……あぅ、ごめんなさい」

 意気消沈してさらに俯く真琴。髪の房が頼りなげに揺れ、いかにも哀れを誘う。
 しかたがないとばかりに頭を一振りし、美汐はふっと表情を緩める。どうも自分はこの娘には甘い。

「わかったならいいんですよ。そんなところに立ってないでお上がりなさい」
「……美汐、もう怒ってない?」

 瞳を潤ませながら、上目遣いで美汐を伺う真琴。その愛らしい仕草に、美汐は少し怯む。

……かっ、可愛い

心なしか頬を朱に染め、美汐は真琴に優しく微笑む。

「怒ってないですよ。さ、早くお上がりなさい」
「うんっ! おじゃましまーす!」

 言うが速いか、一瞬でいつもの笑顔に戻る真琴。そのまま靴を蹴り散らしながらあがりこむ。
 流石は女狐といったところだろうか。

 その豹変ぶりに呆然としていた美汐だったが、ドタドタという足音にはっと我に返る。
 呼び止めようとする、が

「まっ、真琴! 靴はちゃんと――」

 振り返ってもそこに真琴の姿はない。どうやら既に茶の間に入り込んだらしい。
 「まったくあの子は」などとぼやきながら、真琴の靴を揃える美汐。
 その耳に、早くもテレビを見ているのかケタケタと笑う真琴の声が聞こえる。美汐のこめかみがピクリと引きつった。

 ……どうやら、躾がなっていないようですね

 婉然とした微笑を浮かべながら、美汐は茶の間の襖を開けた。





 ―――数分後、茶の間


「あぅ〜」
「聞いてるんですか、真琴?」
「はっ、はいぃ!」

 足の痺れに朦朧としていた真琴の意識は、美汐の冷たい声に引き戻された。
 茶の間には、座布団に正座しながら美汐のお説教に耐える真琴(半泣き)の姿があった。
 切羽詰った真琴の返事に、美汐は「よろしい」と呟く。しかし、眦はいまだ険しいままだ。
 どうやら、まだ説教は続くらしい。

(あうぅ〜〜!)
「いいですか、女性というのは常に淑やかさと慎ましさを……」


 結局真琴が解放されたのは、三十分後のことだった。





§     §     §






「買い物……ですか?」

 コクコクと勢い良く頷く真琴。頭についた二つの尻尾が、同意を示すようにぶんぶんと揺れる。

 どうして、こんなに意気込んでるんでしょう?

 悠然と湯のみを傾けながら、美汐はテンションの高い友人を見やった。真琴の様子は、どうもいつも通りとは言いがたい。

「祐一ったらヒドイのよぅ!」

 怒髪天とばかりに髪を逆立たせて、真琴は祐一への不満をつらつらと愚痴り始めた。
 その怒りはやがて矛先をクルクル変え、果ては『何故、夏にコンビニに肉まんがないのか』という話にまで至った。
 美汐はというば、話を聞いているのかいないのか、どこかぼんやりとお茶を啜っていた。
 お茶がおいしいらしい。



 はぁはぁと、喋りつかれたのか肩で息をしている真琴。
 三杯目のお茶と羊羹を始末した美汐は、散々脱線しまくった真琴の愚痴を要約して、やっと真琴の様子に納得がいった。

 要するに、相沢さんが買い物に付き合ってくれないから拗ねてるんですか。

 ほぅっと微量の呆れが混じった吐息が漏れる。ともあれ、このままでは埒が明かない。

「それで? 何を買いに行くんですか?」
「うん、あたし夏用の服持ってないから買いに行きたいの」

 美汐は、思わぬ言葉に少し目を丸くした。
 確か春先までは、義母となった秋子さんが買ってきていたはずだ。
 自分で服を欲しがるということは、それだけこの世界に馴染んできたのだろう。
 それは、とても喜ばしいことだ。


 しかし、そうなると、もっと適任がいるのではないだろうか。

「水瀬先輩やあゆさんのほうがよかったのでは?」
「……名雪は部活だっていって学校に行っちゃったし、あゆは勉強だって」

 詰まらなそうに呟く真琴。義姉達との仲は、なかなか良好のようだ。
 そんな真琴に、美汐は慈しむような笑みを浮かべる。

「分かりました。付き合いましょう」






「良く似合いますよ、真琴」
「あうぅー」

美汐の、めったに見せない楽しそうな笑みに、真琴は困惑しながらも微笑み返した。

「あぁ、でも真琴にはもう少し活発な感じのほうがいいのでしょうか?」
「逆に、もっと落ち着いた感じのものなどどうです? 着るものが変われば、印象も変わるものですし」
「それもそうですね。では、これなんてどうでしょう?」

 ここぞとばかりに売り込みをかける店員と、それにあっさり肯首する美汐。
 思わず笑みを引きつらせた真琴は、呆然と二人の後姿を見やった。
 そして自問する。

 どうしてこんなことになったのだろう、と。


 美汐と真琴が向かったのは、商店街の一角にあるブティックだった。小さな店だが、上品な内装とセンスのよい品揃えで評判らしい。
 店に入ると、店主と思しき女性が気安い挨拶をかけてきた。
 美汐が、真琴の服を見立てる旨を伝えると、店主は何着かの服を真琴のために見繕ってきた。真琴としては、その中から気に入った何着か選ぶだけでよかった。

 そう、そのはずだったのに。

 美汐も頼られたからには、それに答えなければとでも思ったのだろうか。
 いつの間にか、美汐が服を持ってくるようになっていた。しかもひっきりなしにだ。
 美汐が次から次へと服を持ってきては、真琴が着る。

 その繰り返しの末、着せ替え人形あつかいの現在に至る。


 次々と襲い来る服飾の数々に、真琴は圧倒されっぱなしである。
 それに輪をかけて、店主の存在がある。人見知りの激しい真琴としては、非常に居心地が悪い。
 いろいろな要因もあり、もはや真琴は疲労困憊である。

 しかし、美汐は手を休めるどころか、いっそうヒートアップした感すらある。
 真琴としては、既に何着か目星をつけているのでそれを買って帰りたいのだが、そんなことを言い出せる雰囲気ではない。
 そもそも、そんなに大量に買う金銭など持ち合わせていないのだが―――

 「これなんてどうですかね?」

 常になく楽しげな美汐の声に、真琴は軽い眩暈を覚えた。
 本日二度目の苦行である。





§     §     §






 ぐったりとした真琴を気遣うように、美汐はその傍らを歩いていた。

 どうも調子に乗りすぎたようだ。
 人の服を選ぶのがこんなに楽しかったとは知らなかった。
 ついつい熱中してしまい、気づけば数時間が経過。その間、真琴が着替えた服は、数十着にも及ぶ。

 その結果―――


「……真琴、大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないわよぅ」

 ダメだ、拗ねてる。
 こうなると、もはや食べ物で懐柔するしかない。

 どこかに手ごろな店がないかと、美汐があたりを見渡していると、項垂れていた真琴がふいに顔をあげた。

「ちょっと待ってて、美汐っ!」
「あっ、ちょっ、真琴!?」

 いきなり駆け出した真琴に、驚いて声をかける美汐に振り向きもしない。後ろ手を振りながら駆けていく真琴の後姿を、美汐は唖然としたまま眺めていた。
 やがて、真琴の行く先に一軒のこじんまりとした店舗があるのに気づく。
 時間の流れから取り残されたような、目新しくもない建物。どう見ても、食べ物があるようには見えない。

 そこは、小さな雑貨店だった。



 数分して、真琴が戻ってくる。その手には、小さな紙袋が握られていた。
 一人取り残されていた美汐に、真琴はどこか神妙な様子で近づいていく。

「真琴、それは?」
「えへへ〜」

 真琴は問いには答えず、ただにっこりと笑うと「はいっ!」と持っていた紙袋を差し出した。

「プレゼントっ!」
「……プレゼント? 私にですか?」
「うんっ!」
「で、でも、私は別に何かを貰うようなことは……」
「そんなこと、どうでもいいのよぅ! あたしが美汐にあげたいからあげるのっ!」
「……そんなことって」

 困惑しながらも、美汐は紙袋を受け取る。
 真琴が「開けてみて!」とせっつくので、早速開けてみる。

 安っぽい紙袋から出てきたそれは――

「……鈴、ですか?」

 それは、鈴のついたブレスレットだった。
 ただの紐に鈴がついているだけの、簡素な代物。
 しかし、それはただの鈴ではなかった。美汐の脳裏に、いつかの景色がフラッシュバックする。


「……!」

 そう、それは同時に証でもあった。
 彼女の絆の象徴。大切な、大切な、思い出のカタチ。


「……ありがとう、真琴」
「えへへ」

 飛び切り優しい美汐の笑顔に、真琴は擽ったそうにはにかむ。

 早速、美汐はそれを手首につけた。チリンと澄んだ音色が響いた。





§     §     §






「よぅ、おかえ――」
「ふんっ!」

 玄関で真琴を迎えた祐一は、真琴は非友好的な態度全開の挨拶を返した。
 いきなりの出来事に硬直する祐一を尻目に、靴を乱暴に脱ぎ捨てノシノシと二階の部屋に戻ろうとする。
 しかし、いきなり踵を返したかと思うと、靴をキチンと揃え、今度は静々と階段を上がっていった。
 その妙な行動に目を丸くしていた祐一は、何故か満足げな美汐を見やった。

「……なんだ、ありゃ?」
「教育の賜物です」
「……ますます意味がわからん」

 困惑する祐一に、美汐は「こんにちは」と挨拶する。祐一は「おぅ」とおざなりに挨拶を返し、二階を仰ぎ見た。

「ったく、アイツはまだ拗ねてるのか」
「相沢さんが悪いんですよ」

 やれやれとばかりに首を竦めていた祐一は、美汐の辛辣な返答に胸を張って答えた。

「そんなこと言ったって、俺が女物の服なんぞ見立てられるワケがなかろう!」
「何故そんなに偉そうなのかは知りませんが、真琴の気持ちも少しは考えてやってはどうですか?」
「いけずだなぁ、天野は」
「気味の悪い声を出さないでください」

 美汐の憮然とした声音に「おぉ怖い」などと呟いていた祐一は、ふと違和感に思い当たる。

「そういえば、なんで天野はなんでウチまで来たんだ? ストーキングは感心しないぞ?」
「……本当に失礼な人ですね。真琴が家まで送っていってくれるそうなので、一緒に来ただけです」

 ギロリと睨みつけられた祐一は、思わず視線をそらす。美汐の怖さは祐一も身をもって知っているのだが、からかわずにいられないのが難点だ。
 あらぬ方向に向けた視界に、見覚えのあるものが見えた。少しだけ目を見開く祐一。

「……それは?」

 美汐は、手首につけた鈴を見やりながら微笑む。

「真琴が買ってくれたんです。」
「……そうか」

 ひどく落ち着いた声。
 思わず祐一の顔を見やった美汐は、少しだけドキリとした。
 そこに普段のおちゃらけた表情はなく、まるで慈しむような穏やかな大人の笑みが浮かんでいた。
 だから、どこか納得する。この人だったからこそ真琴は帰ってこれたのかもしれない、と。

 「うん? どうした、天野?」
 「い、いえ」

 自分の顔をまじまじと見つめられていることに気づき、祐一はどこかぼぅっとした美汐に声をかけた。
 我に返った美汐は、恥ずかしそうに俯く。よく分からない反応に祐一が首を傾げていると、バタバタという足音が階段から聞こえてきた。
 凛と響く鈴の音が、重なるように響く。

 二階から降りてきた真琴の手首には、あの鈴のブレスレットがつけられていた。
 無くさないようにと、大事に保管されていたはずの宝物。

「あれ? お前、それ……」
「フンッ!」

 まだ機嫌が悪いのか、プイッと首をそむける。相変わらずつっけんどんな態度を取る真琴に、祐一は苦笑する。
 「ま、いっか」と呟き、こちらを無視して玄関に向かう真琴の背中を見やった。

「おい、真琴」
「なによぅ!」

 振り返る真琴の表情はまるで拗ねた子供のようで、祐一は思わず笑ってしまう。
 さらに不機嫌そうに唸る真琴に、優しさを滲ませた声がかかる。

「気をつけろよ」
「……わかってるわよぅ」

 クスリと美汐が微笑む。
 顔を赤くした真琴は、二人にそっぽを向き逃げるように表に出た。

「素直じゃないんですから、あの娘も」
「……アイツがいつも素直だったら、気味が悪いぞ」
「それもそうですね」

 祐一のイヤそうな声に、美汐は少しだけ笑った。
 笑い声が聞こえたのだろうか、外から不機嫌そうに美汐を呼ぶ声がした。
 美汐はもう一度だけ笑い、祐一に向き直る。

「それでは、相沢さん」
「おぅ、お前さんも気をつけてな」
「はい」

 バタリと扉が閉まる。
 外から聞こえる二人の楽しげな話し声が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 その声が聞こえなくなるまで玄関に立っていた祐一は、少しだけ微笑むとゆっくりと部屋に戻った。





 夕焼けに染まった町並みに、二つ並んだ影法師が伸びる。

 パタパタと、元気のいい足音。
 テクテクと、大人しい足音。
 リンリンと、鈴の鳴る音。


 少女たちの楽しげな話し声を伴奏に、鈴の音は遠く遠く響き渡る。









<あとがき>

どうも、蒼大将です。

PCのクラッシュのあおりを受けて、遅れに遅れたサイトSS第二段。
今回は真琴と美汐のお話です。やっと自サイトにKanonSSが書けました。
いろいろとツッコミどころはありますが、楽しんでいただければ幸いです。


今回のSS中でちょっと言及されましたが、自分設定では真琴は水瀬家の養子ということになっています。苗字が沢渡なのはご愛嬌、と言うことで(汗
自分設定の根幹となっている長編を書く予定もありますが、一体いつになることやら……

感想批判等ございましたら、自分のほうにメールをお願いします。

6/21 蒼大将
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